歴史と見どころ

白八幡宮大祭は、神輿渡御行列に各町内の山車が運行される祭りで、北前船によって運ばれた上方文化を今に伝えるとされます。京都の祇園祭の流れをくむことから「津軽の京祭り」と呼ばれています。

白八幡宮大祭の歴史

白八幡宮大祭御神輿渡御之図
白八幡宮大祭御神輿渡御之図

鰺ヶ沢港を見下ろす高台に鎮座する白八幡宮は、江戸時代より鯵ヶ沢総鎮守として、人々の厚い信仰を集めてきました。
白八幡宮大祭は、延宝5(1677)年、地域の安寧を願う行事として、津軽藩の仰せつけにより始まったとされています。元は、弘前八幡宮祭礼と交互に2年に一度行われていましたが、大正時代から4年に一度となりました。現在、津軽地方で残っている山車祭りは白八幡宮大祭のみであることから、その歴史・文化的価値は高く、青森県と鰺ヶ沢町の無形民俗文化財に指定されているほか、日本遺産「北前船寄港地・船主集落」の構成文化財にもなっています。

御神輿渡御行列

古式ゆかしい装束の行列
古式ゆかしい装束の行列

白八幡宮大祭の一番の見どころは、古式ゆかしい装束を身にまとった神職や、裃姿の奉行役、旗や弓、槍などを捧げ持つ人々200名以上からなる神輿渡御行列です。さらに、各町内の山車が雅な祇園囃子を奏でながら行列にお供する一大絵巻となっています。
行列の中心である2基の御神輿は、貞享2(1685)年に上方で製作され、鰺ヶ沢の町衆一同により寄進されたものが、今に大切に受け継がれてきています。また、行列に参加する人々が「口覆い」(マスク状の布)を着けるのも、穢れを忌むという古来のしきたりを伝えるものです。

祭りの日、沿道の人々は、玄関先に米・灯明・お神酒を供え、正座して御神輿のお通りを迎えるのが、昔からのしきたりとなっています。

各町内の山車が連なる
各町内の山車が連なる

大祭の3日目には、御座船に御神輿を乗せて沖へ繰り出す海上渡御も行われます。たくさんの漁船が大漁旗をなびかせて御座船をお供し、夏の日本海を華やかに彩ります。

 
 
 
 

神輿渡御行列図

神輿渡御行列図

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