鰺ヶ沢湊と白八幡宮

鰺ヶ沢湊を描いた船絵馬(白八幡宮所蔵)
鰺ヶ沢湊を描いた船絵馬
(白八幡宮所蔵)

大祭の歴史は300年以上も前から

白八幡宮大祭は300年以上の歴史がある祭りで、藩政時代に藩の御用港として栄えた当時の鰺ヶ沢の面影を残す古式ゆかしい伝統行事です。白八幡宮大祭の御神輿渡御行列は町の無形文化財に指定されています。
 現在、この大祭は4年に1度開催されますが、昔は、弘前と鰺ヶ沢が隔年で交互に開催していたと言われ、その後は鰺ヶ沢で4年に1度の行事として定着しています。

藩の要港と津軽三八幡

白八幡宮
白八幡宮

白八幡宮は鰺ヶ沢の湾内を一望する高台にあり、大同二年(807年)に「坂上田村麻呂が蝦夷降伏祈願所として祠を創立し、康元元年(1256年)に、時の執権北条時頼公によって再建されたといういわれが残っています。

藩祖津軽為信公が慶長八年(1603年・江戸幕府開府の年)に藩の費用で社殿の造営を行い、「鰺ヶ沢総鎮守」と定め、以来、歴代藩主の参拝が続きました。
 藩政時代には、浪岡八幡宮・弘前八幡宮とともに「津軽三八幡」と称され、また、鰺ヶ沢は藩の要港として栄え、西回り航路の『北前船』による藩米や木材の移出、日用品の移入など、上方と津軽を結ぶ海運の拠点として重要な役割を果たしました。

長州(山口県)から運ばれた玉垣
長州(山口県)から運ばれた玉垣

出羽、北陸、大坂方面の回船問屋や地元の豪商などが商売繁盛と海運の安全を願って、玉垣(源平の合戦で知られる壇ノ浦の近くの長州赤間関で産出の石)や船絵馬(大阪の絵馬師による制作)を奉納するなど厚い信仰を集めたゆかりの場所として知られています。

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