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分類別【書跡】

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台帳No.13津軽信義筆「古郷秋風」和歌短冊
作者名津軽信義(3代藩主)
時代・年代分類03書跡
寄贈者サイズ170cm×32.5cm
3代藩主信義(1619~1655)自筆の短冊「古郷秋風 ふるさとのかきねの小萩散敷て にわに玉しく秋の夕風」。信義は疋田甫庵を和歌の師とし、自らも「愚詠和歌集」を編んでいる。津軽で和歌が盛んになったのは、それを保護した信義と、甫庵の力によるところが大きいと言われる。
台帳No.7津軽信政筆 易経注釈
作者名津軽信政(4代藩主)
時代・年代分類03書跡
寄贈者サイズ116cm×61cm
4代藩主信政(1646~1710)は新田開発を進めた中興の英主。本作は易経の文言とその注釈文を記したもの。清如堂主人とは信政をさす。学者としても教育者としても一流であった信政の素養がしのばれる書である。
台帳No.9津軽信寿筆「軍鑑」
作者名津軽信寿(5代藩主)
時代・年代分類03書跡
寄贈者サイズ195cm×61.5cm
5代藩主信寿(1669~1746)の書。信寿は、絵画、書や詩歌に秀で、また剣術でも小野一刀流を極めるなど多才な人物であった。
台帳No.12津軽信興筆「忠孝」
作者名津軽信興(5代藩主信寿世嗣)
時代・年代分類03書跡
寄贈者サイズ113.5cm×61cm
津軽信興(1695~1730)は5代藩主信寿の世嗣。幼少より利発で家臣の信望も高かったとされるが、家督を相続することなく病死した。
台帳No.34津軽順承筆「暖日花君子清尊酒聖人」
作者名津軽順承(11代藩主)
時代・年代嘉永3年(1850)首夏分類03書跡
寄贈者サイズ178cm×44cm
11代藩主順承(1800~1865)は松平伊豆守信明の3男で、養子となり黒石藩9代を継いだが、後に世継ぎのない弘前本家を継いだ。本作は「暖日花君子清尊酒聖人」と書したもので嘉永3年(1850)の作。
台帳No.33津軽順承筆「柳弁春色」和歌短冊
作者名津軽順承(11代藩主)
時代・年代分類03書跡
寄贈者サイズ138cm×30.5cm
11代藩主順承(1800~1865)自筆の和歌短冊「柳弁春色 花とりのやがてあやなす春のいろ まずくりいだす青柳のこと」。順承は松平伊豆守信明の3男で、養子となり黒石藩9代を継いだが、後に世継ぎのない弘前本家を継いだ。
台帳No.8津軽承祜筆「佳気慈籠」
作者名津軽承祜(11代藩主順承世嗣)
時代・年代分類03書跡
寄贈者サイズ212cm×42cm
津軽承祜(1838~1855)は津軽家一門の津軽順朝の長子で、11代藩主順承の世嗣となる。藩主になる予定であったが、わずか18歳にして没した。漢籍を兼松石居、書は平井東堂、絵は新井勝峰に学び、学芸に秀でていた。
台帳No.56津軽承祜筆「以意対山水」
作者名津軽承祜(11代藩主順承世嗣)
時代・年代分類03書跡
寄贈者サイズ177cm×36cm
津軽承祜(1838~1855)は津軽家一門の津軽順朝の長子で、11代藩主順承の世嗣となる。藩主になる予定であったが、わずか18歳にして没した。漢籍を兼松石居、書は平井東堂、絵は新井勝峰に学び、学芸に秀でていた。
台帳No.71津軽承昭筆「窓近花陰筆硯香」
作者名津軽承昭(12代藩主)
時代・年代分類03書跡
寄贈者サイズ211cm×45.5cm
12代藩主承昭(1840~1916)は熊本藩主細川斉護の4男で、婿養子として12代藩主を継いだ。最後の津軽藩主として激動の時代を生きた。伯爵。
台帳No.11津軽英麿筆「遊□□緑□」
作者名津軽英麿(13代当主)
時代・年代分類03書跡
寄贈者サイズ176cm×44.5cm
13代当主英麿(1872~1919)は12代藩主承昭の養子。伯爵。近衛忠房の2男。
台帳No.17津軽英麿筆「梅柳」
作者名津軽英麿(13代当主)
時代・年代明治14年(1881)分類03書跡
寄贈者サイズ173cm×40.5cm
13代当主英麿(1872~1919)は12代藩主承昭の養子。伯爵。近衛忠房の2男。英麿は明治10年(1877)5歳で津軽伯爵家の養子となった。本作は英麿9歳の時の書である。
台帳No.154-1津軽義孝筆「津軽藩発祥之地」(額装)
作者名津軽義孝(14代当主)
時代・年代昭和51年(1976)分類03書跡
寄贈者津軽義孝サイズ121cm×224cm
14代当主義孝(1907~1994)は13代当主英麿の死後、津軽家の養子となった。尾張徳川家の分家・男爵徳川義恕の2男。母寛子は12代藩主承昭の2女であるから、承昭の外孫にあたる。本作は昭和51年(1976)光信公450年祭を記念して書されたもの。
台帳No.154-2津軽義孝筆「津軽藩発祥之地」
作者名津軽義孝(14代当主)
時代・年代昭和51年(1976)分類03書跡
寄贈者津軽義孝サイズ90.5cm×182cm
14代当主義孝(1907~1994)は13代当主英麿の死後、津軽家の養子となった。尾張徳川家の分家・男爵徳川義恕の2男。母寛子は12代藩主承昭の2女であるから、承昭の外孫にあたる。本作は昭和51年(1976)光信公450年祭を記念して書されたもの。
台帳No.166津軽義孝筆「悠久」
作者名津軽義孝(14代当主)
時代・年代分類03書跡
寄贈者津軽義孝サイズ38.5cm×41.5cm
14代当主義孝(1907~1994)は13代当主英麿の死後、津軽家の養子となった。尾張徳川家の分家・男爵徳川義恕の2男。母寛子は12代藩主承昭の2女であるから、承昭の外孫にあたる。
台帳No.118源道沖筆「沙上鳧雛働母眠」
作者名源道沖(山崎蘭州)
時代・年代江戸中期分類03書跡
寄贈者サイズ197cm×35.5cm
山崎蘭州(?~1799)は弘前生まれの儒家、医家、詩文家、書家として知られる。通称丈助、字を道沖という。蘭州はその雅号である。
台帳No.145菅江真澄筆「避疫霊」
作者名菅江真澄
時代・年代享和元年(1801)頃分類03書跡
寄贈者サイズ141.5cm×39cm
菅江真澄(1754~1829)は江戸時代を代表する旅行家。三河国に生まれ、東北・北海道など各地を旅して多くの紀行文や図絵を残した。本作は深浦で滞在中に交遊のあった船問屋・小浜屋理右衛門(1759~1812)に贈られた直筆の書。雷除けのまじないと真澄の花押が記されている。
台帳No.45松窓乙二筆「それ鷹に」発句
作者名松窓乙二
時代・年代江戸後期分類03書跡
寄贈者サイズ188.5cm×39.5cm
松窓乙二(1756~1823)は陸前(宮城県)白石城主片倉家の祈願所・千手院10代住職。江戸中・後期の俳人。鰺ヶ沢の俳人・小野化石を訪問したこともある。本作は「それ鷹に拳見せたり西明り」の発句を書したもの。
台帳No.50津軽一臥筆「結庵古城下」漢詩文
作者名津軽一臥(順宏)(10代藩主信順家老)
時代・年代江戸後期分類03書跡
寄贈者サイズ191.5cm×30cm
津軽順宏(1779~1846)は10代藩主信順の家老で一臥とも号した。書は父模宏(東山)とともに堪能であった。
台帳No.124津軽一臥筆「佳人眠洞房」漢詩文
作者名津軽一臥(順宏)(10代藩主信順家老)
時代・年代江戸後期分類03書跡
寄贈者サイズ190cm×42.5cm
津軽順宏(1779~1846)は10代藩主信順の家老で一臥とも号した。書は父模宏(東山)とともに堪能であった。
台帳No.25平井東堂筆「先憂後楽」
作者名平井東堂
時代・年代江戸後期分類03書跡
寄贈者サイズ200cm×39.5cm
平井東堂(1813~1872)は江戸後期の江戸詰めの津軽藩士、書家。本作は北宋の范仲淹が「岳陽楼記」で為政者の心得を述べた言葉より書したもの。「士はまさに天下の憂えに先んじて憂え 天下の楽しみに後れて楽しむ」。
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