概要
主郭地区は、平地からの高さが約20mある独立した平坦地(曲輪)です。東側は赤石川に面した急な崖であり、ほかの三方を大規模な堀がめぐっています。きわめて防御性の高い地区となっています。
主郭地区は南北200m、東西100mの広さがあり、平坦地は大きく4段の平場に分かれています。主郭の南西下には大浦光信が埋葬されたという「御廟所」があります。
主郭地区の遺構
主郭地区の発掘調査は、昭和63年(1988)から平成9年(1997)まで10年間にわたって行われました。全体の約1/3が調査されています。
発掘調査によって、掘立柱建物跡148棟、塀跡(柱列)86列、竪穴建物跡12棟、井戸跡19基、溝跡、土坑、鍛冶炉など多くの遺構が見つかっています。
主郭内で最も高い平場では、大型の掘立柱建物跡が3回建て替えられていることが確認されました。特に16世紀初めには最大規模の建物(幅24m、奥行き16m)が建てられており、大浦光信の館であったと推定されています。
城主の館の下段には、小型の建物や小規模な部屋の建物が建ち並んでおり、家臣の屋敷地であったとみられています。
主郭地区の出土遺物
中国や朝鮮からの輸入品をはじめ、国内各地で作られた陶磁器の碗・皿・すり鉢などが数多く出土しました。食器類では、漆器の椀・皿や木箸、石製の鉢、鉄鍋なども出土しています。
一般の道具類では、建築具である鉄釘や鎹、武具である小札や笄や刀、密教法具をのせる銅製の台(金剛盤)、鏡、砥石、下駄などがあり、多彩な内容です。鍛治作業に関連するものとして、素材鉄である鉄ていも出土しています。
この他、日常的な生活道具とは別に、中国産青磁の座敷飾り、瀬戸・美濃焼の天目茶碗や茶入、瓦質土器の風炉、茶臼といった茶道具もみられることから、城主一族のゆとりある生活も想像することができます。
陶磁器は15世紀後半~16世紀前半のものが多く、延徳3年(1491)の大浦光信の種里入部から、大永6年(1526)の光信死去までの時代に一致しています。