鰺ヶ沢町の概要
(2024年7月更新)
(2014年4月更新)
(2024年7月更新)
鰺ヶ沢町は日本海(青森県の西海岸)に面し、およそ東西22キロメートル、南北40キロメートルに及び総面積は343.08平方キロメートル(平成27年10月1日現在の国土地理院発表)と県内で8番目の広さを有しています。
北は日本海に臨み、南はクマゲラの生息地としてしられる世界自然遺産の白神山地を有し秋田県に隣接しています。市街地は海岸線に沿って形成されているほか、町土を流れる赤石川、中村川、鳴沢川の地域におよそ40の集落が散在しています。
町土のおよそ8割が山林で占められ、なかでも赤石川、中村川源流部には約20000ヘクタールの国有林を配し、豊かな自然を象徴しています。
鰺ヶ沢の歴史は古く、南北朝時代にはすでに集落が形成されていたことが石碑などから推定されています。1491年には津軽藩始祖大浦光信公が種里に入部し、以来たびたび文献にその名をとどめることになりました。藩政時代には津軽藩の御用港として栄え、海上交通の門戸として重要な位置を占めていました。
明治22年の市町村制施行に伴い鯵ヶ沢町となり、以来津軽西部の政治、経済の中心地として歩み続けています。現在の鰺ヶ沢は、昭和30年に鰺ヶ沢町、赤石村、中村、鳴沢村、舞戸村の1町4ヵ村が合併して誕生したものです。
鰺ヶ沢町のいろいろ
町章
町章は、ひらがなで「あじがさわ」をあらわしたもので、あじがさわの「わ」を図案化し、円を作った。円は、町内の融和をあらわし、あじがさわの「あ」と「さ」を円より飛び出させ、鰺ヶ沢町の発展を象徴しました。
町の『花・木・鳥』
≪町の花≫はまなす
はまなすは、赤石から川尻に至る海岸砂丘に群れ咲き、赤い実をつけます。日本海の潮風に耐えて繁殖する生命力は、町民の純朴さ、辛抱強さに通じます。
≪町の木≫けやき
古くから、風除けとして屋敷内に植樹され、親しまれてきたけやき。銘木の王者といわれる逞しい姿は、町の力強い前進のシンボルにふさわしいものです。
≪町の鳥≫うぐいす
春告げ鳥と呼ばれるうぐいすの鳴き声は、雪国に住む人々に、いち早く、春の息吹を感じさせてくれます。町民に希望を与えるシグナルともいえる鳥です。
町民憲章
わたくし達は岩木山の霊峰を仰ぎ日本海の海鳴りを聞いて育った鰺ヶ沢町民です。津軽発祥の地に生れた、誇りと伝統を大切に未来への躍進を願いここに町民憲章を制定します。
一、生涯をとおして学び、文化を育む心豊かな町をつくります。
一、仕事に誇りをもち、生き生きとした健すこやかな町をつくります。
一、おとしよりをいたわり、子どもを慈いつくしむ和なごやかな町をつくります。
一、みんなで話しあい、進んできまりを守る明るい町をつくります。
一、澄みきった空青い海、緑ゆたかな美しい町をつくります。
町の姉妹都市
ブラジル連邦共和国サンパウロ州サンセバスチョン市(1984年10月26日提携)
「鰺ヶ沢」という地名の由来
(1)小川に「鰺」がたくさんのぼったので鰺ヶ沢と名付けたから
(2)「鰺」がたくさんとれたので、鰺屋沢と呼ばれていたから
(3)町内にある一丁目沢周辺が、古い地図に「アシが沢」と書かれていたから
などいろいろ説がありますが、いずれにしても鰺ヶ沢の地名は、470年ほど前の文書にはすでに記されていた地名です。
(資料:鰺ヶ沢町史)
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