特集 大型絵図~鰺ヶ沢町絵図・津軽領海岸絵図~

鰺ヶ沢町絵図(1)


 津軽藩の中心港だった鰺ヶ沢湊の姿を描いた町絵図。藩主の御仮屋(町奉行所)や湊番所、米蔵、舟蔵といった藩の施設、寺社などの他、当時の住家について家主名が1人1人書き込まれている。絵図には製作年代が記されていないが、文化2年(1805)に成立した富根町が描かれていないこと、文化4年(1807)3月に山崩れで倒壊する前の高沢寺が米町にあることから、文化年間(1804~1818)以前に成立したものと考えられる。高沢寺は倒壊後に、現在の七ツ石町へ移転した。なおこの時期より成立の古い新地町(遊郭)が描かれていないが、その理由は不明である。
 絵図には416名の名前が書き上げられている。舞戸の反り橋、町通りの木戸、町の西外れの乞食小屋、一里塚などの様子がわかる貴重な絵図である。なお来生寺の手前に明円寺という寺があるが、この寺は現在残っていない。
※本絵図については、町内の古文書学習グループの協力により解読版が作成されている。
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