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時代・年代別【江戸時代】

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台帳No.42直槍
作者名
時代・年代分類04工芸
寄贈者サイズ長さ318.5cm
台帳No.178十文字槍
作者名
時代・年代分類04工芸
寄贈者太田哲サイズ長さ343cm
種里の旧家・太田家(通称:三郎四郎家)伝来の十文字槍。
台帳No.144火縄銃
作者名
時代・年代分類04工芸
寄贈者サイズ長さ129cm
台帳No.177紫宸殿造雛飾
作者名
時代・年代分類04工芸
寄贈者戸沼一男サイズ40cm×126cm×74cm
鰺ヶ沢の旧家・戸沼家(屋号:〆二)に伝えられた紫宸殿造雛飾。藩政時代に黒石の旧家から伝来したものとされる。このように天皇の御所である紫宸殿になぞらえた雛飾りは、江戸時代末期から西日本を中心に広まった。
台帳No.192-1花菱紋箱付き外居
作者名
時代・年代分類04工芸
寄贈者白戸清光サイズ42.5cm×42cm×50cm
外居とは食物を入れて持ち運ぶのに使われた容器。2つを1組にして天秤棒で担いで運んだ。
台帳No.192-2花菱紋箱付き外居
作者名
時代・年代分類04工芸
寄贈者白戸清光サイズ42cm×41.5cm×51cm
外居とは食物を入れて持ち運ぶのに使われた容器。2つを1組にして天秤棒で担いで運んだ。
台帳No.204伊万里蓋付碗
作者名
時代・年代分類04工芸
寄贈者武沼博子サイズ口径12cm×高さ8.5cm
19世紀中葉頃の肥前系磁器碗。
台帳No.201大黒天人形
作者名
時代・年代分類04工芸
寄贈者武沼博子サイズ178cm×88cm
鰺ヶ沢の白八幡宮大祭に使われた古い山車人形。藩政時代~近代を通じて二丁目米町の町内の出し物として使われ、その後、鰺ヶ沢の旧家・武沼家に伝わった。
台帳No.90-1鰺ヶ沢沖口出米御判紙下書(松前積出)
作者名鳴海与右衛門
時代・年代寛文3年(1663)4月24日分類05文書
寄贈者八木橋武実サイズ29.5cm×19cm
鰺ヶ沢湊から松前へ、米を積み出す許可証を交付してほしいと願い出た申請書。弘前城内の襖の下張り文書とされる。
台帳No.90-2鰺ヶ沢沖口出米御判紙下書(敦賀積出)
作者名小田切十二郎
時代・年代寛文3年(1663)4月晦日分類05文書
寄贈者八木橋武実サイズ23.5cm×15.5cm
鰺ヶ沢湊から敦賀へ、米を積み出す許可証を交付してほしいと願い出た申請書。弘前城内の襖の下張り文書とされる。
台帳No.90-3鰺ヶ沢沖口出米御判紙下書(敦賀積出)
作者名浅利為左衛門・関伝右衛門・笹覚之丞
時代・年代寛文3年(1663)5月8日分類05文書
寄贈者八木橋武実サイズ33cm×25cm
鰺ヶ沢湊から敦賀へ、米を積み出す許可証を交付してほしいと願い出た申請書。弘前城内の襖の下張り文書とされる。
台帳No.90-4鰺ヶ沢沖口出米御判紙下書(上方積出)
作者名福士武右衛門
時代・年代寛文3年(1663)5月10日分類05文書
寄贈者八木橋武実サイズ33.5cm×13cm
鰺ヶ沢湊から上方へ、米を積み出す許可証を交付してほしいと願い出た申請書。弘前城内の襖の下張り文書とされる。
台帳No.90-5鰺ヶ沢沖口出米御判紙下書(大津積出)
作者名浅利為左衛門・関伝右衛門・笹角之丞
時代・年代寛文3年(1663)6月4日分類05文書
寄贈者八木橋武実サイズ33cm×23.5cm
鰺ヶ沢湊から大津へ、米を積み出す許可証を交付してほしいと願い出た申請書。弘前城内の襖の下張り文書とされる。
台帳No.90-6鰺ヶ沢沖口出米御判紙下書(松前積出)
作者名石田五郎兵衛
時代・年代寛文3年(1663)6月7日分類05文書
寄贈者八木橋武実サイズ23.5cm×16cm
鰺ヶ沢湊から松前へ、米を積み出す許可証を交付してほしいと願い出た申請書。弘前城内の襖の下張り文書とされる。
台帳No.89-1鰺ヶ沢沖口出人下書(親方町喜右衛門)
作者名辻五郎兵衛・松山善左衛門・松井助左衛門
時代・年代寛文3年(1663)4月27日分類05文書
寄贈者八木橋武実サイズ23cm×28cm
弘前の親方町喜右衛門が鰺ヶ沢湊から船旅に出るための往来手形の交付を願い出た申請書。藩政時代は各人の旅行が制限され、領外へ出るときは往来手形の所持が義務付けられていた。弘前城内の襖の下張り文書とされる。
台帳No.89-2鰺ヶ沢沖口出人下書(黒石町善兵衛)
作者名辻五郎兵衛・松山善左衛門・松井助左衛門
時代・年代寛文3年(1663)4月27日分類05文書
寄贈者八木橋武実サイズ24cm×27.5cm
黒石町善兵衛が鰺ヶ沢湊から船旅に出るための往来手形の交付を願い出た申請書。藩政時代は各人の旅行が制限され、領外へ出るときは往来手形の所持が義務付けられていた。弘前城内の襖の下張り文書とされる。
台帳No.198-2中村川鮭御判下書 伴林十郎・成田権右衛門宛
作者名斉藤孫左衛門
時代・年代明暦元年(1655)10月13日分類05文書
寄贈者八木橋武実サイズ24cm×18cm
津軽藩では、海漁や川漁に従事する人に対して、使用する漁網、漁獲物の種類によって定められた役銭を徴収していた。本文書は中村川の鮭漁について1年間の許可を願い出た申請書。弘前城内の襖の下張り文書とされる。
台帳No.198-1赤石川御川役下書 砂川喜右衛門・白取平兵衛宛
作者名赤石村長左衛門・銅屋町口入喜右衛門
時代・年代寛文3年(1663)8月19日分類05文書
寄贈者八木橋武実サイズ24cm×17cm
津軽藩では、海漁や川漁に従事する人に対して、使用する漁網、漁獲物の種類によって定められた役銭を徴収していた。本文書は赤石川の簗漁について2ヶ月間の許可を願い出た申請書。弘前城内の襖の下張り文書とされる。
台帳No.67-1蔵米運送方手形
作者名御運送役
時代・年代宝暦7年(1757)10月20日分類05文書
寄贈者サイズ30cm×13cm
7代藩主信寧(1739~1784)の代、宝暦改革により発行された蔵米運送手形。米切手とも呼ばれる。藩内の富裕者に年貢米を担保として金銭を上納させるのと引き換えに、この手形によって代金分の米を支払うとしたもの。
台帳No.67-2蔵米運送方手形
作者名
時代・年代宝暦年間(1751~1764)分類05文書
寄贈者サイズ30cm×13.5cm
7代藩主信寧(1739~1784)の代、宝暦改革により発行された蔵米運送手形。米切手とも呼ばれる。藩内の富裕者に年貢米を担保として金銭を上納させるのと引き換えに、この手形によって代金分の米を支払うとしたもの。
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