日照田の板碑
地蔵堂横
一本松下
板碑とは、石材を用いた卒塔婆のことで、死者の供養のために建てられた。右側の板碑は、応安8年(1375年)の年号があり、大黒天を表す梵字マが刻まれている。左側は年号不明で、梵字キリークは阿弥陀如来を表す。この他、旧道沿いの一本松(現在地の北側の山裾)の下にも板碑があり、永徳2年(1382年)の年号と、阿弥陀如来を表す梵字キリークが刻まれている。南北朝時代(1336年から1392年)、この地方に勢力を誇った豪族・安藤氏の関わりがうかがえる資料である。
地蔵堂横
一本松下
板碑とは、石材を用いた卒塔婆のことで、死者の供養のために建てられた。右側の板碑は、応安8年(1375年)の年号があり、大黒天を表す梵字マが刻まれている。左側は年号不明で、梵字キリークは阿弥陀如来を表す。この他、旧道沿いの一本松(現在地の北側の山裾)の下にも板碑があり、永徳2年(1382年)の年号と、阿弥陀如来を表す梵字キリークが刻まれている。南北朝時代(1336年から1392年)、この地方に勢力を誇った豪族・安藤氏の関わりがうかがえる資料である。