豊島佳兮墓
豊島佳兮は、江戸時代末期の鰺ヶ沢の俳人。本名は豊島泰中で、医師であった。のち弘前に移ったが、晩年になって鰺ヶ沢に戻った。高沢寺には、佳兮の辞世の句「枕せん極楽風の来んあたり」を刻んだ安政3年(1856年)の墓石があった。ただし佳兮の没年は天保5年(1834年)とされることから、安政3年は豊島家が墓を建立した年とみられる。
豊島佳兮は、江戸時代末期の鰺ヶ沢の俳人。本名は豊島泰中で、医師であった。のち弘前に移ったが、晩年になって鰺ヶ沢に戻った。高沢寺には、佳兮の辞世の句「枕せん極楽風の来んあたり」を刻んだ安政3年(1856年)の墓石があった。ただし佳兮の没年は天保5年(1834年)とされることから、安政3年は豊島家が墓を建立した年とみられる。