田村麻呂の腰掛石
白八幡宮は、大同2年(807年)、坂上田村麻呂が蝦夷降伏祈願所として創建し、太刀と白旗八流を奉納したのが始まりと伝えられる。その後、康元元年(1256年)に鎌倉幕府の執権北条時頼が社殿を再建し、さらに慶長8年(1603年)に津軽藩の初代藩主津軽為信が再建したとされている。この石は、古くから田村麻呂将軍が腰をかけた石として言い伝えられてきている。
白八幡宮は、大同2年(807年)、坂上田村麻呂が蝦夷降伏祈願所として創建し、太刀と白旗八流を奉納したのが始まりと伝えられる。その後、康元元年(1256年)に鎌倉幕府の執権北条時頼が社殿を再建し、さらに慶長8年(1603年)に津軽藩の初代藩主津軽為信が再建したとされている。この石は、古くから田村麻呂将軍が腰をかけた石として言い伝えられてきている。