岸文靖墓道表
天保10年(1839年)頃から鰺ヶ沢で岸塾を開いた岸達仲(岸 通)の徳を慕って、弘化4年(1847年)に没後、門人らによって建立された。「文靖先生」と贈名されており、五所川原の漢学者・飛島謙がその業績を記している。岸塾は常に数十人の門人が集まり、経済、医学を学んだという。その塾風は家族的雰囲気であったが、文靖の学問の深さに門人は深く傾倒し、勤勉、質素、礼譲、忍苦、従順等の教育目標がよく守られ、津軽地方では屈指の学塾と評価された。
天保10年(1839年)頃から鰺ヶ沢で岸塾を開いた岸達仲(岸 通)の徳を慕って、弘化4年(1847年)に没後、門人らによって建立された。「文靖先生」と贈名されており、五所川原の漢学者・飛島謙がその業績を記している。岸塾は常に数十人の門人が集まり、経済、医学を学んだという。その塾風は家族的雰囲気であったが、文靖の学問の深さに門人は深く傾倒し、勤勉、質素、礼譲、忍苦、従順等の教育目標がよく守られ、津軽地方では屈指の学塾と評価された。