保村晩杏句碑
保村晩杏は、江戸時代後期に活躍した舞戸の俳諧宗匠。日蔭塚の建立に尽力した。俗名は備前屋保村善右衛門で、造酒業等を営んだ。晩杏は俳号である。寛政7年(1795年)没。晩杏の句「草はつかなつご(「なつご」は、むしへんに原)かくさぬ野中かな」を刻んだこの句碑は、舞戸、鰺ヶ沢の俳人らによって日蔭塚の隣に建てられた。
保村晩杏は、江戸時代後期に活躍した舞戸の俳諧宗匠。日蔭塚の建立に尽力した。俗名は備前屋保村善右衛門で、造酒業等を営んだ。晩杏は俳号である。寛政7年(1795年)没。晩杏の句「草はつかなつご(「なつご」は、むしへんに原)かくさぬ野中かな」を刻んだこの句碑は、舞戸、鰺ヶ沢の俳人らによって日蔭塚の隣に建てられた。