塩越屋羽扇墓
塩越屋羽扇は、江戸時代後期の鯵ヶ沢の俳人で松本禽翁の門下。塩越屋は新地町で遊郭を営んでいた。羽扇の俗名は不明である。菅江真澄の旅日記「にしきのはま」に出てくる塩越屋古燕は羽扇の妻女とみられる。安永8年(1779年)に没しており、墓石には「本来にかへる姿や冬木立」の辞世の句が刻まれている。現在、墓は無縁墓となっている。
塩越屋羽扇は、江戸時代後期の鯵ヶ沢の俳人で松本禽翁の門下。塩越屋は新地町で遊郭を営んでいた。羽扇の俗名は不明である。菅江真澄の旅日記「にしきのはま」に出てくる塩越屋古燕は羽扇の妻女とみられる。安永8年(1779年)に没しており、墓石には「本来にかへる姿や冬木立」の辞世の句が刻まれている。現在、墓は無縁墓となっている。