化石塚
小野化石は、津軽一帯で活躍した江戸時代後期の俳諧宗匠。鰺ヶ沢の釣町に住み、紺屋灰(染物のときに使う灰)等を商っていた。襲名して金兵衛を名乗っており、化石は俳号である。文政元年(1818年)没。化石の句「磯山や四月の袖に桜散」を刻んだこの句碑は、化石の門弟らによって文政9年(1826年)に建てられた。元は堀切沢の丘の上に建てられていたが、倒れたまま放置されていたのを現在地に移した。
小野化石は、津軽一帯で活躍した江戸時代後期の俳諧宗匠。鰺ヶ沢の釣町に住み、紺屋灰(染物のときに使う灰)等を商っていた。襲名して金兵衛を名乗っており、化石は俳号である。文政元年(1818年)没。化石の句「磯山や四月の袖に桜散」を刻んだこの句碑は、化石の門弟らによって文政9年(1826年)に建てられた。元は堀切沢の丘の上に建てられていたが、倒れたまま放置されていたのを現在地に移した。